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イベント開催報告

 

【2025年5月特別イベント②】神戸・灘の酒蔵を巡る旅

蔵人応援団では、偶数月第一木曜日に定例会、奇数月に酒蔵見学他、特別イベントを組み込んで活動しております。
さて、今般2025年5月は、日本酒の聖地の1つである神戸・灘エリアの酒蔵を中心に見学する旅となりました。

 

※日本酒の二大生産地として京都・伏見、神戸・灘が挙げられます。
※灘五郷酒造組合HP https://www.nadagogo.ne.jp/

 

特に今回の企画では、通常の見学を受け入れていらっしゃらない酒蔵も含め、2泊3日で神戸市から西の相当数の酒蔵を巡る旅となりました。


◆5月16日(金)14時30分~16時30分
・泉酒造株式会社 https://izumisyuzou.co.jp/
「仙介」、「琥泉」

1756(宝暦6)年創業(創業の地は、兵庫県有馬郡道場(どうじょう)村=現・神戸市北区道場町)の泉酒造さんからスタートしました。


灘五郷(西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷)の御影郷に位置する泉酒造は、1844に現在の地・御影にて酒造りを専念しました。
使用される水(地下水)は、六甲山系の霊峰一王山の地下を潜り、水質最良、水量豊富にしてその尽きざること泉の如く、自らの姓も泉になるところより銘を「泉政宗」としました。

 

※「GI灘五郷」は2018年6月28日に国税庁長官の指定を受けました。灘五郷で造られた日本酒を保護する地理的表示制度です。

 

しかし、1995年1月17日早朝の阪神・淡路大震災にて木造の仕込蔵や瓶場が倒壊。事務所と製品倉庫だけが残りました。
一時期は再建を断念し。親戚筋の蔵元より日本酒を造っていましたが、若手社員や現社長の娘さん等の熱意により、歴史ある灘での醸造再開を目指し、2007(平成19)年より小規模の醸造を開始した。当初の生産石高は僅か50石程。
現在は、約500石。(醸造タンク6~7本→54本程度)その他、リキュール類を100石程醸造。

 

「仙介」の由来:
2006(平成18)年、灘での醸造を再開するに当たり、蔵の再建中、七代目仙介(当時会長)が、酒造りを始める前に他界。翌2007(平成19)年1月17日(震災から12年)に醸造を再開。仕込みの終わり商品銘柄を思案しているところ、再開を一番待ち望んでいながら、出来上がった日本酒を吞めずに亡くなった七代目仙介の想いから、代々継がれていた「仙介」にしようと社員一致で決定しました。仙介ブランドは、丹波杜氏である和氣卓司の指導の下、灘の歴史と伝統を受け継ぎ、そこに新たな若いエネルギーを注ぎ込むことで、これまで以上に魅力的な日本酒を生み出して行きたいと考えています。

 

「琥泉」の由来:
かつて泉酒造は、「金泉」、「銀泉」の商品名で知られたのでそれに続く鉱物を銘柄に付けたいと考え、琥珀『琥』と屋号の『泉』を取り、『琥泉』と名付けました。
琥珀のようにゆっくりと時間をかけ、一本一本を宝石のように扱い、大切にしたいと考えています。

 

大手酒造メーカー(白鶴、沢の鶴等)とも仲良くしている。(大手酒造メーカーの日本酒造りの技術は素晴らしく、学ぶもの多い。品質を常に一定・安定、設備もきれいで新しい)日本酒造りは、9月末からスタートし、6月末に甑倒し、7月搾りまで。(8~9月は、休業)フレッシュローテーションを旨として、造り置きは極力しない。
出荷の大半は、神戸市(人口約150万人)及び兵庫県。東京エリアは、一部の特約店のみ。(小山酒店/聖蹟桜ヶ丘、こだま酒店/大塚、福原商店/御徒町等)

 

丹波杜氏の和氣卓司氏と、副理事長の對間が数年前から接点が有り、今回の見学希望をお願いしており、ようやく実現できました。

 

試飲は、以下。
①純米吟醸おりがらみ無濾過生原酒(兵庫県産山田錦100、精米歩合60%、アルコール16度)・・・純米吟醸酒をおりがらみの生酒のまま瓶詰めし、フレッシュさの中に爽やかに漂う上立ち香。生らしい柔らかで上品な旨み優しい味わいを感じます。
②夏純米/特別純米一・火(兵庫県産山田錦20%麹米、兵庫県産兵庫錦80%、精米歩合65%、アルコール14度)・・・仙介レギュラー(特別純米)とはひと味違う辛口でスッキリとした飲み口と喉越し。夏の季節に涼むのに最適の一杯です。

 

★令和6酒造年度全国新酒鑑評会におきまして「仙介 大吟醸」が4年連続で金賞を受賞いたしました。

 

その後、18時~、神戸・三ノ宮の「粗酒粗餐 田なべ」さんにて、懇親会を実施しました。小体なお店にて、兵庫県産の日本酒他、日本酒のアテ(肴)共に、参加メンバー同士の懇親を深めました。尚、今回、理事長の桐村、副団長の對間他、東京(関東)から計4名、後4名は、大阪の初参加の方々でした。


◆5月17日(土)10時~17時頃
2日目は、大手酒造メーカーを含め、御影郷→魚崎郷エリアの酒蔵見学へ。
・沢の鶴資料館
https://www.sawanotsuru.co.jp/site/company/siryokan/
1717年(享保二年)に創業した沢の鶴は、米屋を営む初代が、副業として酒造りを始めたことを発祥。
江戸時代末期に建造され170年以上の歳月を経てきたと考えられる大石蔵を、酒造りの文化を広め、後世に伝えることを願って資料館として公開したのが「昔の酒蔵」沢の鶴資料館です。創業300年を誇る沢の鶴の貴重な酒造りの道具や灘酒の伝統文化を展示。六甲山や宮水など自然との調和を求める日本酒の奥深さをぜひ肌で感じてください。(同社Webサイトより)

・その後、福寿(神戸酒心館」へ。
1751(宝暦元)年創業。現在、13代目。現在の生産石高は、2,500~3,000石。蔵人10人。

 

 

・白鶴酒造資料館へ、移動。
1743(寛保3)年創業。嘉納家、年商270億円。
https://www.hakutsuru.co.jp/community/shiryo/
しかし、想定外にも当日年2回の「酒蔵開放日」に当たり、もの凄い人、人・・・。
見学を早々に移動。

 


・菊正宗酒造記念館
1659(万治2)年創業。当主は、嘉納治郎右衞門(12代目)
https://www.kikumasamune.co.jp/kinenkan/
生酛造りへのこだわり→辛口生酛へのこだわり

https://www.kikumasamune.co.jp/profile/kimoto.html

 

生酛づくりとは、蒸米・麹・宮水を丹念にすりあわせる工程(酛摺り)を経て、自然の乳酸菌の力を借りながらじっくりと時間をかけ力強く優良な酵母を育む古来伝承の酛づくりです。生酛特有のキレ味とふくらみのある辛口酒が醸し出されます。

 

樽酒マイスターファクトリーも見学。

 

 

・櫻正宗記念館
https://www.sakuramasamune.co.jp/
1625(寛永2)年創醸。1717(享保2)年創業。※「正宗」ネームの元祖。当主は、山邑太左衛門(11代目)
日本醸造協会の協会1号酵母をこの櫻正宗から全国に頒布した。

 

我が国の酒造りの歴史は古く、『日本書紀』の「スサノオノミコト伝説」にも酒が登場するほど。
そして、時代が進むにつれ、酒造りも洗練されていき、現在に続く酒造りの骨格が定まったのは江戸時代であり、必要な条件を持った摂津国がその代表的な地となり、中でも伊丹、西宮そして灘地方が中心でした。
寛永年間(1624〜1644年)になると伊丹の酒造家・雑喉屋文右衛門が西宮に進出したことをきっかけに多くの者が追随、流通の優位性から灘で本格化しました。灘は、原料米と原料水、そして気候風土、さらに海運という酒造りに必要な条件を揃えた土地で醸し出された「灘の生一本」は江戸人好みの酒の代名詞となりました。
そんな酒造りの中心となった灘地域は、東郷(魚崎郷)の魚崎(当社・「櫻正宗」の醸地)を含む五つの郷から成る灘五郷と称されました。

 

・浜福鶴吟醸工房
https://hamafukutsuru.co.jp/
小山本家酒造 灘浜福鶴蔵 当主は、小山景市(7代目)
「福鶴」ブランドの継承
1996年(平成8)年には、ガラス越しに酒造りの工程を見学いただける蔵に全面改修。“造る” “見せる” “販売する”の三拍子そろった見学酒蔵として、近隣のお客様や、国内外を問わず様々な地域から観光に来られるお客様にご来館いただいております。

 

・懇親会へ
阪神本線新在家駅至近の「寿司処なだや」さんへ。
地元神戸の食通の知り合いより情報を得て、いわゆる町寿司へ。
カウンター席にて5名にて、おまかせコースと生ビール(乾杯)、日本酒を堪能しました。
肴(アテ)4品に、にぎり鮨を11貫(一部、追加握りの方有り)、日本酒は福寿(燗酒)と瀧鯉、沢の鶴(冷酒)の3種。
たらふくお腹いっぱいに食べ、日本酒一人3合強を飲み、大満足でした。

 

当方(副理事長 對間)は、2日目で終了し3日目は、理事長の桐村他のメンバーにて。

 

 


◆5月18日(日)9時30分~18時30分頃
3日目は剣菱酒造社長の白樫政孝さんを訪ねて同社の浜蔵見学よりスタートしました。
ここではお酒の醸造のほか、木工所も併設していて、酒樽や甑を初めとする酒造用の木製品を今も作り続けていて、他の酒造メーカーさんからの注文にも応えておられるそうです。何と!自社で竹藪まで維持・管理されているとか(酒樽の板を縛るのには天然の竹が必須です)

 

・剣菱酒造
https://www.kenbishi.co.jp/
創業以来の歴史の長さでは灘の最古参で、競合ひしめくなか一目置かれているのが、昔ながらの根強いファンが多い剣菱酒造さんです。飲み手だけではなく、造り手(酒造業者さん)にも酒造りの原点を今に伝える「師匠」的な存在として敬意を抱いている蔵元さんがたくさんおられるようです。

 

いまさらですが、同社の概要と沿革は以下の通りです:
ルーツである稲寺屋が永正2年(1505年)に当時の一大生産地であった伊丹で創業して以来、蔵元が移り替わるも五家にわたり変わらぬ酒造り続けてきた。代々守り継がれてきた家訓は、壱. 止まった時計でいろ、弐. 酒の味の為の費用は惜しまず使え、参. お客様の手に届く価格でご提供する。その商標から江戸でも「剣菱」と呼ばれ評判が高かったが、その銘々の由来と時期に関しては諸説あるとのこと。昭和4年(1929年)に現在の神戸市東灘区に移転し、現在に至る。年間生産量約2万石

 

白樫社長からは、灘が酒処になる頃の時代から伝わる業界の「裏話」的なエピソードや味の秘密にまつわる面白いお話をたくさん聞かせていただきました。(この辺りのトピックは、採りあげるときりがないので、別の機会にお伝えできればと思います)


この後、西に向かい、明石から山陽電車に乗り換える前、「魚の棚市場」を探索。地元産の蛸の入った玉子焼き(他所で「たこ焼き」と呼ばれるアレです)と地ビールで軽く昼食を取り、明石魚住の浜近くにある茨木酒造さんに向かいました。

 

・茨木酒造(代表銘柄「来楽」)
https://rairaku.jp/

 

(以下、同社Webサイト他を参考に編集した蔵元さんの紹介です)

江戸末期の嘉永元年(1848)年に創業。現蔵元杜氏の茨木幹人専務で9代目(現営業担当のお父上は8代目)。

代表銘柄の「来楽」は孔子の論語にある「有朋自遠方来、 不亦樂乎」(朋あり 遠方より来たる また楽しからずや)に由来。
「人生最高の楽しみとは、仲のよい友人と酒を酌み交わして歓談することである」という意味で、そこにある酒でありたいとの思いで命名された由。また「来楽」は、縁起のよい左右対称文字。裏からでも表からも同じように見えるので、「裏表がない」とされているとのことです。

 

かつて明石市の西部は「西灘」と呼ばれ、名水で仕込まれた日本酒が有名な地域で、「来楽」はその頃から明石を代表する日本酒です。地元の名水で仕込まれ、兵庫が誇るお米の代表銘柄「山田錦」など、日本酒の為に丁寧に育てた米を使用した地酒です。

 

 

 

 


(以下、幹人専務へのインタビュー記事*を参照)
兵庫県登録有形文化財に指定された、江戸末期の創業当時から現存する木造の酒蔵は、夏場の日差しを遮るために南側は土壁になっており、北側は冬の厳しい寒風が入りやすいという機能的な構造になっています。
明石は、古くから酒造好適米の産地として知られる播磨平野にあって、井戸水や季節風に恵まれたことから良質の酒が生産されるようになり、最盛期には70軒もの酒蔵がありました。それも今ではわずか6軒。とはいえ、1つの市で6蔵を有しているのは、明石の地が酒造りの盛んだった頃の名残りがあるからこそです。

茨木酒造「来楽」では、この伝統ある酒蔵から、日本酒を通じて地域の方や日本酒を愛する方とのつながりをもっと広げていきたいと考えています。
シャクナゲ、月下美人、アベリアなどの花酵母を使った日本酒など幅広い商品の開発。落語家さんを招いての「酒蔵寄席」をはじめとする、酒蔵を解放してのイベント開催等の取り組み。
また、酒米の田植えから稲刈り、仕込み、酒搾りまで、日本酒造りを体験してもらう「元旦仕込みの会」では、日本酒を味わうだけでなく、酒造り。それも酒米栽培から体験してもらうことで、さらに楽しんでもらえるようになり、お客様同士の和も広がっているように思います。
伝統を未来へそして明石の地から世界へ伝わる架け橋となり、多くの方がこの酒蔵にノスタルジックな想いを馳せ日本酒との出会いを体験される事を願っています。

*茨木酒造:はりま酒文化ツーリズム「播磨は日本酒のふるさと」
https://harima-sake.jp/introduction/ibaraki/


訪問当日も、「つち遊び展」と題する焼き物の展示会をされていて、地元のファンの方で賑わっていました。

 

ちなみに、30年余り前、関西在住時代に私(団長、桐村)は、ここから徒歩圏内に住んでいたのですが、当時は日本酒への関心がなく、この酒蔵のことも全く知りませんでした。もし知っていたら入り浸ってご迷惑をお掛けしていたかもしれません(笑)


この後、茨木幹人専務の運転で駅まで送っていただき、姫路に向かいました。
今回のツアーのさん最後の訪問先となる姫路灘菊酒蔵(旧・灘菊酒蔵)さんは「姫路駅に一番近い酒蔵」を自称されている、姫路市中心部に近い酒蔵です。

・姫路灘菊酒蔵
https://www.nadagiku.co.jp/

(以下、同社Webサイト他を参考に編集した蔵元さんの紹介です)

明治43年(1910年)に初代川石酒造作(みきのすけ)が川石本家酒類(資)より独立し、川石酒類(資)を創業。現在の地(姫路市手柄)で清酒製造を始めた。社名の「灘菊」は、姫路の前に広がる海‘播磨灘’の「灘」と花の「菊」を合わせたものが由来とのこと。

 

昭和30年代(1955年-)には、二代目川石幸作が積極的に製造量を増やし、当時の地酒メーカーとしては珍しい鉄筋コンクリートの三季醸造「甲蔵」を完成するなど、業容を拡大。一方、昭和39年(1964年)に国鉄(現JR西日本)姫路駅地下街において直営の飲食店「酒饌亭灘菊」、昭和59年(1984年)には市内に串揚倶楽部「蔵」を開業し、現在のモットーである「お酒と食文化のハーモニー」の礎を築く。
平成に入り本社で酒蔵見学をスタート。さらに、木造酒蔵の一部を改装し酒蔵レストランを併設。平成5年姫路城が世界文化遺産に登録されたことや趣のある創業当初の木造酒蔵が現存すること・酒蔵料理の品がすべて手作りということが好評を博し、多くの来訪客を迎えている。

 

酒造りにおいては、平成6年(1994年)より「大量生産から小ロット生産」にシフトチェンジし、500kgの少仕込み生産を開始。平成16年から製造の中心を担う川石光佐氏は、平成21年に厚生労働大臣認定「酒造技能士1級」・平成22年(2000年)に「(社)南部杜氏組合杜氏試験」に合格して以来、全国でも珍しい女性の社長杜氏として酒造りに精進している。
原料米は「山田錦」「兵庫夢錦」など兵庫県産米を中心に厳選し、特に西播磨特産の「兵庫夢錦」は神崎郡市川町の農家と契約栽培をし、地元の酒米使用に注力。仕込は伝統的な手造りの製法で行い、杜氏以下の蔵人も若手の社員が担い、社員一丸となって酒造りに精進。また貯蔵・熟成においては、瓶貯蔵の小ロットで管理し、瓶1本単位で繊細に徹底した熟成管理をしている。(以上、同社Webサイトを参考に編集)
推定年間生産量は約200石

 

余談ですが、柔道の父・体育の父として歴史に名を遺す嘉納治五郎〈1860年12月10日〉- 昭和13年〈1938年〉5月4日)と菊正宗・白鶴創業の嘉納家との関係はよく知られるところですが、ここ灘菊蔵元の川石家も柔道と深い縁のある酒蔵です。フランス柔道の父と称され、国内よりも海外で著名な柔道家である川石酒造之助(かわいし みきのすけ、1899年8月13日 - 1969年1月30日。創業者 川石酒造作(かわいし みきさく)の末弟)が、ここから世界に羽ばたき、日本の柔道を世界に広めることに貢献したのです。


この後、姫路駅前地下街「グランフェスタ」 2番街にある「タツリキショップ」でツアー終了の祝杯を挙げ、解散と相成りました。

 

 


表記方法や文体が不統一のままですが、以上をもち今回のツアーの報告とさせていただきます。

文責:
5月16日 ~17日に関する記載  對間勝己
            同18日に関する記載 桐村康司

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