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瑞穂の国 丹波の歴史と地酒

更新日:2020年11月8日



【丹波の歴史】

 奈良や京の都を中心とする畿内と、出雲をはじめとするかつての「表日本」や東アジア大陸との間に位置し、古代より人、物、文化が行き交う要衝であり続けた丹波の国。律令制成立後に日本海沿岸部の丹後、但馬が分離されたものの、北近畿の広範囲に及ぶ当地には、

明智光秀が築いた福知山城

古くより地元の豪族が小さい所領ながら、肥沃な土地が生み出す農産物と大陸からの先進技術を駆使して造られる鋳造品などの交易により得られる富を背景に、権勢を誇っていたため、他の地方と比べると勢力統一が進まず、小規模の武将が数多く割拠する状態が続いていました。

その丹波を平定し、戦のない地に生まれ変わる契機を作ったのが明智光秀による「丹波攻め」でした。


【光秀の治世】

 仁政を行う王の元に現れるとされる伝説の動物「麒麟」。次のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、その麒麟が何者で、いかにして、いずれの英雄の前に現れるのかを問う物語となるそうです。

 口丹波の亀山(現 京都府亀岡市)を丹波攻めの拠点とした光秀が最後の仕上げの拠点とした福智山(現 京都府福知山市)には、彼の行動に麒麟出現の予感を抱かせる理由が理解できる逸話がたくさん残されていて、地元にある御霊神社には宇賀御霊大神とともに神様として合祀されているほどです。

 光秀は、一部の例外を除き、敗退した武将を配下に置き厚く遇することで緊密な関係を築き、織田信長家臣団のなかで最強の軍勢に成長していきました。

 また、その治世は地元の繁栄・発展を最優先したもので、田畑の整備や治水灌漑工事に注力することにより河川の氾濫や水害の撲滅に成功したり、農民への年貢の減免などにより、民衆からも厚く慕われました。


【丹波の地酒】

 米どころ丹波には、古くより酒造りの文化が根付いていました。京都伏見に約30蔵、丹後に13蔵、兵庫但馬に10蔵あるのに比べ、かつての勢いは衰え少なくなってしまいましたが、現存する蔵は地元と京阪神の根強いファンに支えられ栄えています。

 良質の米と澄んだ水が豊富な土地柄、どの銘柄のお酒もかなりレベルが高いです。言うまでもありませんが、京都府側は「祝(いわい)」、兵庫県側は「山田錦」の産地です。

 また、米のほか野菜、山菜、茸、木の実等の農産物や鮎や鯉等淡水魚の産地として、丹波は都の後背地としての重要な役割を担い、さらには北陸の水産物の交易ルートの要衝として古くから街道が開け、宿場街には美味しい料理と旨い酒が溢れていました。



地域ごとの主な銘柄

京都府

(福知山盆地)

東和酒造有限会社   福知山市字上野115 六歓 福知三萬二千石 武勇*

若宮酒造株式会社   綾部市味方町薬師前4 綾小町

(和知)

有限会社長老     船井郡京丹波町本庄ノヲテ5 長老

(口丹波)

大石酒造株式会社   亀岡市稗田野町佐伯垣内亦13  翁鶴

  同、美山蔵     南丹市美山町内久保 美山てんごり

関酒造有限会社    亀岡市紺屋町26 この花桜

丹山酒造有限会社   亀岡市横町9 丹山

(京北周山)

羽田酒造有限会社   京都市右京区京北周山町下台20 初日の出 羽田 六友

兵庫県

(氷上)

株式会社西山酒造場 丹波市市島町中竹田1171 小鼓

山名酒造株式会社   丹波市市島町上田211 奥丹波

(篠山盆地)

鳳鳴酒造株式会社   丹波篠山市呉服町73 鳳鳴

狩場一酒造株式会社  丹波篠山市波賀野500 秀月







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