丹波福知山の銘酒

最終更新: 2019年10月6日



【福知山の地理と歴史】

京都府の中北部にある丹波福知山は丹後(京都府京丹後市ほか)、但馬(兵庫県豊岡市ほか)から遠くは出雲に及ぶ近畿から中国地方にかけての日本海側と京の都をつなぐ交通の要所として古くから栄え、古代、上代からの史跡にも恵まれた土地柄です。東の綾部市までまたがる福知山盆地は一級河川の由良川流域の肥沃な土地に恵まれ、米作や養蚕業が盛んに行われていました。


明治以降は産業の近代化の波に乗り北近畿の中核都市として発展し、昭和12年(1937年)4月に京都府で旧伏見市に次ぐ3番目の市として福知山市が誕生しました。


この地を福知山と名付けたのは明智光秀です。


戦国時代に丹波を平定した明智光秀が天田郡(あまだごおり)と呼ばれていたこの一帯を「福智山」と名付け、たびたび起こる由良川の氾濫に苦しんでいた領民を救うため治水工事を進めたほか、数多くの手厚い施策による善政を敷いたことで、領地民からたいへん慕われたとのことです。


その名残が由良川に沿って何十キロにもわたって延びる堤防や、福知山中心部近く、支流の土師川とぶつかるあたりに築かれた明智藪に見られます。

明智藪越しに見る福知山城


一般には彼は「逆賊」「裏切り者」とされてきましたが、その働きを間近で見てきた土地の者は、立場を越えて慕い敬っていたようです。一般の領民のみならず、丹波攻めの戦で敗れた地元の豪族の末裔の国衆からも敵ながら一目置かれ、家臣として取り立てられた者たちとの間には強い絆があり、戦が劣勢のときには遁走者が出るのが一般的ですが、明智軍では皆無だったと言います。


地元には、彼の功績をたたえる碑や、その霊を祀った御霊神社(宇賀御霊大神との合祀)があり、毎年秋には御霊まつりがおこなわれています。


【生野の里で愛されてきた地酒】

福知山には、古来、数えきれないくらいの歴史上の人物が往来したはずですが、その足跡が今に残り、名前が身近なところで多くの人の目に触れる例として、百人一首に採用されている歌を詠んだふたりの女性がいます。


小野小町(福知山市小野脇)


 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに


小式部内侍(福知山市上野(生野の里))


 大江山 いく野の道の 遠ければ まだ文も見ず 天の橋はし立



その小式部内侍が詠んだこの歌にある「生野」というのは、福知山唯一の蔵元、東和酒造さんのある生野の里(福知山市上野)のことで、かつては旧京街道(山陰道)の宿場街として栄え、ここの地酒は昔から地元の人や旅人から愛されていたそうです。


東和酒造は享保2年(1717)創業の老舗酒蔵。女性杜氏の今川純さん(11代目)がつくる看板商品「福知三萬二千石」や山田錦を使った「六歓」のシリーズは、まろやかな口当たりですいすい飲めるきれいなお酒です。


福知山盆地は、由良川、土師川、牧川などの水流と肥沃な土地に恵まれた良質の米の産地です。また、寒暖差の激しい気候風土は酒造りにも適しており、全盛期には20件近く酒蔵があったそうです。


日本酒の凋落の波にのまれ1軒、また1軒と姿を消していき、この蔵藏も一時は事実上、休眠に近い状態となり、廃業一歩手前まできていたとのことです。

そんななか、幼い頃から家業を見て育った11代目の今川純さんが一念発起され、杜氏として2011年から酒造りを再開され、年々、着実に酒質が洗練されてきています。



2017年からは、東京都内にも特約店ができ、手に入りやすくなりました。


是非一度お飲みいただければと思います。


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