丹波福知山の銘酒

更新日:2020年11月8日



【福知山の地理と歴史】

京都府の中北部にある丹波福知山は丹後(京都府京丹後市ほか)、但馬(兵庫県豊岡市ほか)から遠くは出雲に及ぶ近畿から中国地方にかけての日本海側と京の都をつなぐ交通の要所として古くから栄え、古代、上代からの史跡にも恵まれた土地柄です。東の綾部市までまたがる福知山盆地は一級河川の由良川流域の肥沃な土地に恵まれ、米作や養蚕業が盛んに行われていました。


明治以降は産業の近代化の波に乗り北近畿の中核都市として発展し、昭和12年(1937年)4月に京都府で旧伏見市に次ぐ3番目の市として福知山市が誕生しました。


この地を福知山と名付けたのは明智光秀です。


戦国時代に丹波を平定した明智光秀が天田郡(あまだごおり)と呼ばれていたこの一帯を「福智山」と名付け、たびたび起こる由良川の氾濫に苦しんでいた領民を救うため治水工事を進めたほか、数多くの手厚い施策による善政を敷いたことで、領地民からたいへん慕われたとのことです。


その名残が由良川に沿って何十キロにもわたって延びる堤防や、福知山中心部近く、支流の土師川とぶつかるあたりに築かれた明智藪に見られます。

明智藪越しに見る福知山城


一般には彼は「逆賊」「裏切り者」とされてきましたが、その働きを間近で見てきた土地の者は、立場を越えて慕い敬っていたようです。一般の領民のみならず、丹波攻めの戦で敗れた地元の豪族の末裔の国衆からも敵ながら一目置かれ、家臣として取り立てられた者たちとの間には強い絆があり、戦が劣勢のときには遁走者が出るのが一般的ですが、明智軍では皆無だったと言います。


地元には、彼の功績をたたえる碑や、その霊を祀った御霊神社(宇賀御霊大神との合祀)があり、毎年秋には御霊まつりがおこなわれています。


【生野の里で愛されてきた地酒】

福知山には、古来、数えきれないくらいの歴史上の人物が往来したはずですが、その足跡が今に残り、名前が身近なところで多くの人の目に触れる例として、百人一首に採用されている歌を詠んだふたりの女性がいます。


小野小町(福知山市小野脇)


 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに


小式部内侍(福知山市上野(生野の里))


 大江山 いく野の道の 遠ければ まだ文も見ず 天の橋はし立



その小式部内侍が詠んだこの歌にある「生野」というのは、福知山唯一の蔵元、東和酒造さんのある生野の里(福知山市上野)のことで、かつては旧京街道(山陰道)の宿場街として栄え、ここの地酒は昔から地元の人や旅人から愛されていたそうです。


東和酒造は享保2年(1717)創業の老舗酒蔵。女性